今年は戦後70年という事らしいので、家でとっている地元紙の社会面でも
「戦争」に関する記事や「昔の話を止めたような読み物記事」が
少し増えてきました。
そんな記事を読んでいる中で、ふと違和感を感じたことがありました。
それは、「今日戦時中にはどんなことが起こったか」
という事を毎日綴っている記事の注釈の部分でした。
その日は福井のほうに空襲があり、またの大半が焼夷弾の爆撃によって
被害を受けたというようなことが書かれていました。
そこまでは別に何も思わなかったのですが、違和感は、
その記事の下に小さく枠組みで書かれていた事でした。
そこには「焼夷弾」の説明のようなことが詳しく書かれていました。
それを見た時、「そうか、焼夷弾という言葉もすでに説明のいる言葉に
なってしまったのか」と思いました。
昭和30年代生まれの私にとっては戦争は未体験です。
ただ、子供のころにはまだあちこちに、践祚脳影を引きずった生活がありました。
夏休みには必ず「戦争」に関する記録映画がテレビで流されていました。
月に一度の「弘法大師」のお寺のお祭りに行くと、参道に白い軍服を着て、
アコーディオンを奏でながら歌を歌い、
寄付を集めている軍人姿の人がいました。「傷痍軍人」というという事も、
その時に親から教えてもらいました。
そんな「戦争の影」も次第に薄くなり、最近では一度も見なくなってしまいました。
変わりに「安保改正」のような少しキナ臭そうな話がよくテレビをにぎわすようになりました。
焼夷弾と言えば、B29からどんどんと落とされ、
街を焼き尽くしていくというイメージが「戦争の影しか知らない世代」の私でも、
テレビや親から「きちんと伝えられてきた」ことですぐに思い浮かびます。
しかし、「焼夷弾」という言葉一つをとっても、
今はどんどんと「死語」となりつつあるのかなぁと、新聞の「わざわざの説明」を
読んで悲しく思いました。
「伝える」という事をもう一度みんなで考える時期に
来ているのではないかなと思った、今朝の新聞でした。